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正信偈の意味
あなたも正信偈の意味を知りたくありませんか?
伴侶や子供さんを亡くされた浄土真宗の方が、
お仏壇の前で「きみょうむりょうじゅにょらい」
と熱心に読んでおられるのは、
親鸞聖人の書かれた「正信偈」です。
毎日読んでおられるような方でも、
「どんな意味かは分からない」
といわれる方がほとんどです。
現代では、僧侶の方に聞いても、
本で読んでもなかなか分かりません。
そこで、インターネット上で少しずつ正信偈の意味を
解説していきたいと思います。
正信偈とは?
正信偈とは、今日、世界の光と仰がれる親鸞聖人の書き残されたものです。
親鸞聖人の教えはすべて主著・教行信証に書き残されています。
一生涯、心血を注いで書き残された教行信証は大変大部なものですが、
それを圧縮なされたものが、正信偈です。
一行7字で、120行ありますから、全部で840字あります。
この「正信偈」に、聖人90年の教えが圧縮されているのです。
正信偈をお経だと思っていませんか?
正信偈は
漢字ばかりで書かれていますので、お経だと思っている人がありますが、
正信偈はお経ではありません。
お経は、お釈迦様のお言葉を書き残したものですが、
正信偈は親鸞聖人の書かれたものですから、
お経とは違います。
また、お経は棒読みですが、
正信偈は「偈」といわれるように、
歌の形で書かれています。
それは、保ちやすい、読みやすいからです。
浄土真宗では約500年前、
蓮如上人の時から、朝晩拝読することになっています。
この正信偈には、聖人90年の教えのすべてが収まっております。
正信偈を読むということは、親鸞聖人の90年間の教えを
全部聞くということになります。
そして正信偈の意味がわかれば、
聖人の教えが全部わかったことになります。
どれだけ聞いても聞ききれないのが、正信偈だと思いますが、
このウェブサイトで少しでも意味を説明していきたいと思います。
正信偈を書かれた目的
親鸞聖人が、正信偈を書かれた目的は、一体何だったのでしょうか。
それは、正信偈の最後の2行に書かれています。
道俗時衆共同心
唯可信斯高僧説 (正信偈の最後の2行)
「道」とは出家の人、
「俗」とは、在家の人。
「時衆」とはその時々のご縁で集まった人たちです。
ですから道俗時衆で、すべての人です。
聖人は「すべての人よ」と呼びかけておられます。
「共」とは、親鸞と共に、
「同心」とは、同じ心になってもらいたいということです。
ですから、すべての人に、親鸞と同じ幸せになってもらいたい。
正信偈は、すべての人に、何とか親鸞と同じ心になってもらいたい
という目的で書かれたものです。
「きみょーむりょー…」正信偈の冒頭の意味
では、聖人と同じ心とは何でしょうか。
正信偈の冒頭に、
帰命無量寿如来
南無不可思議光 (正信偈の最初の2行)
とあります。
これは、親鸞は無量寿如来に帰命致しました。
親鸞は不可思議光に南無致しました。
ということです。
どこに「親鸞は」とあるのかといいますと、
これは、隣のお嫁さんのことを書かれたのでもなければ、
向かいのおっさんのことを書かれたものでもありません。
聖人ご自身のことを書かれたものです。
ですから、
親鸞は無量寿如来に帰命致しました。
親鸞は不可思議光に南無致しました。
となります。
では、「無量寿如来」とはどういう意味でしょうか。
「無量寿如来」も、
「不可思議光」も、同じ意味で、阿弥陀仏のことです。
ですから、
親鸞は阿弥陀仏に帰命いたしました。
親鸞は不可思議光に南無致しました。
ということです。
次に「帰命」とか「南無」とはどういう意味でしょうか。
「南無」と「帰命」は同じ意味で、
「南無」は昔のインドの言葉、
「帰命」は昔の中国の言葉です。
仏教は2600年前、インドでお釈迦様が説かれ、
中国へ伝わり、朝鮮半島をへて日本へ伝えられましたので、
インドの言葉も中国の言葉も使われています。
では、日本の言葉ではどういう意味でしょうか。
日本の言葉で言うと、救われた、助けられたということです。
ですから、この正信偈の冒頭の2行は、
親鸞は阿弥陀如来に救われたぞ。
親鸞は阿弥陀如来に助けられたぞ
ということです。
ではなぜ同じことを2回繰り返されているのでしょうか。
私たちも、同じことを2回繰り返すことがあります。
例えば、長い間停電で困っていたところ、
ある時パッと電気がついたとき、
「ついたついたついた…」と言います。
長い間待ち望んでたものがきた時、
一回言えばわかるのに
「ついた」
という人はいません。
聖人は、言っても言っても言い尽くせない喜び、
書いても書いても書き尽くせない喜びを、
「親鸞は阿弥陀如来に救われたぞ、親鸞は阿弥陀如来に助けられたぞ」
と正信偈の冒頭に表しておられるのです。
この阿弥陀仏に救われたことを歎異抄では、
「無碍の一道」と言われています。
また、分かりやすい言葉でいいますと、何があっても絶対変わらない、
「絶対の幸福」ということです。
この絶対の幸福になることこそが
「人生の目的」であり、
「生きる意味」なのです。
正信偈で教えられていること
この正信偈の冒頭にまず教えられていることは、
阿弥陀仏の救いは、死んでからではないんだ。
この世で絶対の幸福に救われたという決勝点があるんだ。
ということです。
阿弥陀仏の救いが死んでからと思っていては、
聖人と同じ心になれませんので、
まず、正信偈の冒頭に、目的地をハッキリと示されています。
正信偈は、聖人が、どうしたらすべての人に親鸞と同じ心になってもらえるか、
どうしたら、無碍の一道まで導くことができるかと、
一字書かれては一粒の涙を流され、
一字一涙の思いで記されたものなのです。
そんな正信偈の意味が分からなかったら、どんなに読んでいても、
大変な申し訳のない、勿体ないことになってしまいます。
そして、正信偈が分からない最大の問題点は、
親鸞聖人が一生涯教えられた、本質が分からないからなのです。
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